4月24日のかなしい知らせ。

3月28日に京都から一緒に連れてきたウサギのファイバーが天に召されました。1週間ほどまえの夜間の激しい雨で かごの中にあめが激しく吹き込み、朝ずぶ濡れになっていました。それまでは元気にえさを食べていましたが、それからは全然食べなくなり、だんだん衰弱していきました。うったい というウサギ特有の症状がありますが多分それです。娘の腕の中で眠るように息を引き取りました。汚れた身体をふいてやりました。涙がとまりませんでした。小さな小さな生殖器が 命の終わりをつげるように、力なく出ていました。
コテージ敷地のトラノオの根本にお墓をつくりました。
ファイバー、どうか天国のお花畑でクローバーや草をいっぱい食べて走り回ってください。ずっとず大好きだよ。

今日はもう7時間で終わる

明日は大晦日。
今年いちばん嬉しかったことは、
空から仔猫が舞い降りたこと。
今年いちばん楽しかったことは、
石垣島で親子3人夜のサイクリングをしたこと。

くやしいことや悲しみはあったけど
気にしてもしょうがない。
前にすすんでいくしかない。
いばらのみちはいつか終わる。
時間が味方についてくれるのだ。

今日とくに 末期の手の施しようのない病気の
叔父と電話ではなせたことはかなり大きい。
私のいまやろうとしていることはやはり
より良い選択だと 思うことができた。
ありがとう。

今私がはまっているのは、アーネスト=ヘミングウェイの短編集。
「死」が 彼の永遠のテーマだったのだろうと思う。いかに「生」き いかに「死」ぬのか。
それを どう捉え 扱う(扱われた)のか。

編み編み。

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近くのホームセンターで売っていたオレンジ系の毛糸をなん玉か購入し、編み編み。仕上げに、ダイソーで買ってきたフェイクフェザーの糸で縁取りして、ショール(ケープ)を作った。
冬になると、猫を抱きたくなる。編み物をしたくなる。暇っちゃー暇。だから出きるのかな。

書家 という生きかた から。

いちおう 書家 ということで、今までを生きてきた。習字教室を開き18年。 素人百姓で家族の飯米をつくり始めてはや15年くらいになる。22才になってすぐに、ひとまわり歳上の亭主のところに嫁いだ。大学の卒業式の10日後だった。だから就職をしたことがない。シアワセなのかフコウなのか。
たぶんシアワセなのだろうな。金を唸るほど持っていたら、きっとデタラメな人間になってるだろうから。金なんて、適度に楽しめるだけありゃいいのだ。足りりゃええんじゃ。とおもう。

人間は 悩み 悩み抜いて、ふとそこから離れ、ある場所で 人に出会い 深く感動する…そんな時がある。人に出会い、また その人に会いたい と思ったら、もうそこは自分にとって大切な場所で、そこに移って暮らしてもいいと思う。もとの場所に居場所があっても居心地が悪いなら、もう居場所が無いのとおなじだ。そして母親である私がそうしたいと思うならば、娘は私とおなじキモチだと思っていいのだ。 ……という(確固たる)自信がある。

動物はかわいい。

昨日の一日を除いてずっと雨。滅入る日もあったりして。だけどじわじわと着実に、ここをしばし去る準備と心構えが出来てきている。何月に着工出来るか、何月に完成するか。4月に間に合わなくても、行くことはできるし、北のとうだい にとまるか、隣の空き家を借りるか、色々と手段はある。転向は年度始めの方がよい。バイタリティーのあるうちに、やりたいことをやりたいように、生きる。子供たちはそれを見て、いかに生きるのかを決めればよい。